18日(金)
朝9時からが米子高校のリハーサル時間。ホール・楽屋に入れるのが10分前だったので部員たちはコンディションを整えるのに一苦労した。しかし、これまでの大会ではリハーサルはせいぜい1時間だったが、今回たっぷり2時間かけて音響・照明のチェックができた。現場のホールスタッフにも親切に対応していただいた。今大会はコンクール形式でなく、フェスティバル性の強い研究大会ということもあって、一校一校の上演を丁寧にしっかりと支えようという関係者・スタッフの方々の態勢・姿勢が随所に伺えた。本当にありがたかった。
さて、地震の影響で、結局4校が出場を辞退(大分・高知・長野・岩手からの参加校)したため、日程の変更があり、参加校同士の交流会もこの日に変更された。米子高校は青春ラブコメディーものの寸劇を披露。客席の笑い(失笑?)を誘った。

リハーサル写真

交流会
19日(土)大会1日目
平野校長先生が駆けつけてくださり、楽屋に陣中見舞い。差し入れもいただいた。地震のため、いたるところで交通手段に制限がかかっている中、わざわざ来ていただいた。遠隔地での公演はとかく不安なもの。校長先生の懐かしい(!?)顔を拝見して、部員たちも心強かったことだろう。ありがとうございました。
開会式。全国高校演劇協議会副事務局長の森本繁樹先生が、「この大会を開催するにあたって、未曾有の大災害の影響で様々な問題が発生したり、否定的な意見も出たりしたが、全国高演協と北海道事務局は、出場校がこの大会のために準備してきたことを、可能な限り、発表するという形で結実させたいとのスタンスをとることにした。また、本大会が様々な方のご理解とご支援によって、こういう状況でも開催できたということが、我々の元気にもつながると思う。」と挨拶された。
いよいよ本番。辞退校があったため、期せずして大会第1番めの上演となった。米子高校演劇部の特徴である緊迫感ある芝居で、特に後半、佳境に入り、観客は食い入るように芝居を観てくださり、そのエネルギーをもらって芝居自体もすごみを増した。上演した『ペスト』は疫病ペストが発生した都市で起こるドラマを描いたものだが、死者の数が増え、行政側の問題が明るみに出て、その中で犠牲になっていく庶民が描かれるシーンになると、観客はまさにリアルタイムのドラマとして息を呑んで観てくださったように思う。観劇後、震災の状況とリンクしたという感想も多く、再演すべきとの意見までいただいた。中国ブロック事務局長の黒瀬貴之先生(広島市立沼田高校)からは、「米子高校の上演は、まさに今現在の状況と重なるところが随所にある『リアル』な劇で、『ああ、今ここでこの劇を観る運命だったんだ』と思いながら引き込まれていきました。観ていて戦慄を覚えるほどすごい舞台でした。」との言葉をいただいた。
もちろん演劇作品として未熟の感はまだまだあり、稽古不足、力量不足は否めないが、今の部員が持てる力をすべて出し切った上演だったのではないだろうか。特に3年生のがんばりは後輩を刺激し、ひっぱり、結果、舞台の質を大いに向上させてくれたと思う。







舞台写真
そして、この日、大変ありがたいことが起こった。
実は北海道入りした16日から、松尾義孝さんという方から連絡をいただいていた。松尾さんは、お父様が米子高校の前身である法勝寺高校で教鞭を執っておられ(故松尾駿一先生)、ご自身も奥様も米子出身の方で、現在は伊達市に在住。今回、伊達市の広報誌で米子高校の全国大会出場を知り、連絡をくださった。そして、なんと、伊達温泉とジンギスカンに招待してくださるというのだ。本番が終わって疲れ切った部員たちにとって、なんともありがたい話で、申し訳ない思いもあったが、せっかくのご厚意、一同ありがたくお受けすることにした。チャーターしてくださったバスで会場に行き、温泉につかり、北海道自慢の焼き肉ジンギスカンを大騒ぎでいただいた。はじめは苦手と言っていた部員もあらそうように食べ、完食。新鮮で、クサみのない、本当においしいジンギスカンだった。
松尾さんはリハーサルも本番も観てくださり、食事後、激励の言葉をいただいた。今回の部員たちのがんばりを見てご自身元気づけられたとも。出発の朝は、駅まで見送りにも来ていただいた。このご縁を大切にして、今後も交流を続けさせていただけたらと思っている。松尾さん、ごちそうさまでした! 本当にありがとうございました!

松尾さんと
20日(日)大会2日目(最終日)
他出場校の観劇。今回、全出場校がカーテンコールを行ったが、震災のことに触れ、今この瞬間に芝居ができることのありがたさ、感謝の思いを異口同音に口にした。閉会式では6校すべての出場校に全国高演協から「感謝状」が送られた。コンクールでない大会だからということもあろうが、今大会の「感謝状」は、その言葉どおり「感謝」という気持ちを改めてみんながかみしめる契機ともなった。やむを得ず辞退せざるを得なかった出場校はどんなにか無念であったろう。それを思うと言葉もないが、今こうして生きて、芝居ができることの幸せをかみしめ、大事にしたい、感謝したいと心から思った。
その後、ホテルの支配人さんのご厚意で、観光できることになった。今回、タイトなスケジュールのため、部員たちは観光もせず、土産を買う時間もなく北海道を発つところであったが、その話を支配人さんにしたところ、バス会社にかけ合ってくださり、大会終了後の限られた時間に観光バスで移動することで、洞爺湖と昭和新山を回ることができた。サミットのあった洞爺湖の壮大さと、白煙の上がる迫力たっぷりの昭和新山を間近に見、圧倒された。部員たちは近くの物産店で家族へのお土産も買うことができて、大満足であった。

洞爺湖

昭和新山
さて、ホテルの支配人さんは浜塚さんとおっしゃり、宿泊初日から本当によくしてくださった。「せっかく米子から来て…」とよく口にされ、「北海道の札幌でも室蘭でもなく、この伊達に来てくれた。いい思い出を作って帰ってもらいたい」とのお気持ちから、いたるところにご配慮いただき、部員・顧問一同、気持ちよく、また安心して4泊5日(5泊6日)を過ごさせてもらった。お世話になりました! ありがとうございました!

ダテプリンスホテル・浜塚支配人さんと
21日(月)
名残を惜しむ間もなく、7:36伊達紋別駅発の列車に乗って、新千歳空港~羽田~米子空港へと帰還した。これだけの日数、こけだけの人数の遠征ともなれば、必ず体調を崩す者が出てくるものだが、1人もなく、みな元気に戻ってくることができた。
空港では、3年生に1・2年生からのメッセージを記した色紙を渡し、これまでの感謝の気持ちを込めた。

米子空港での3年生集合写真
これで『ペスト』は終わった。また来年度に向けて、新たな作品づくりに向けて、部員一同、ゼロからがんばっていかなければならない。何の保障もない。ただ、今回の全国大会出場に対して、どれだけ多くの人に助けていただいたか、これだけは実感として部員たちの心の中に残った。それを支えに、まだ見ぬ次回作へ踏み出そうと思う。
皆さま、本当にありがとうございました。

ホワイエ集合写真